こんにちは!たかです。

今回はセルビアの首都、ベオグラードの空爆跡について紹介していこうと思います。

ベオグラードと聞いて思い浮かぶ事はなんですか?

そう、旧ユーゴスラビアセルビアモンテネグロの首都だった街ですね。

2006年にモンテネグロと分離してもまだ首都はベオグラードです。

夕日に染まるドナウ川沿いはとても綺麗です!!

たそがれるにはもってこいの場所もあります。(詳細はまた別の投稿で!)

 

1.ベオグラードってどこ?

ベオグラードはセルビアという国の首都です。

旧ユーゴスラビア時代からずっと首都でしたがクロアチアを始めたくさんの国が分離独立した後の今でも首都として機能しています。

ちょっとこでセルビアという国にも触れときましょうか。

正式国名:セルビア共和国

首都:ベオグラード

建国:2006年

公用語:セルビア語

2006年にモンテネグロと分離して国名がセルビアになったためまだ若い国と言えます。

 

2.セルビア空爆跡

僕がセルビアに行った一番の目的はこの空爆跡を見ることでした。

セルビア空爆は1999年3月〜6月にわたってNATO軍がベオグラードや他ユーゴスラビアの軍事施設に向けて行った空爆です。

なぜこの空爆が起こったかめちゃくちゃ簡単に説明します。

セルビア空爆とは

1999年当時、セルビア領であるコソボという地域にアルバニア人がたくさん住んでいました。

コソボはセルビア人にとって聖地だったためセルビア人はアルバニア人を追い出したいと考えるようになりました。

セルビア政府は、政府機関や病院、学校などは全てセルビア語を使用する政策をとりました。

そうした中で、セルビア人とコソボをアルバニア人の国として独立させたいアルバニア人の対立が強くなっていきました。

この状況を見兼ねたNATO(北大西洋条約機構)がコソボ独立側につき、セルビアの空爆を開始しました。

この空爆により多数の一般市民も犠牲になったとのことです。

僕自身も空爆の映像をニュースで見た記憶があります。

そして最も印象に残っているのが当時日本でプレーしていたストイコビッチ(当時のユーゴスラビア代表)のゴール後のパフォーマンス。

警告や何試合かの出場停止覚悟でのこのパフォーマンスをやったと思います。

当時、中学生だったけど事の重大さをサッカーを通して知った記憶があります。

建物はこの空爆のことを忘れないように当時のまま残しているのでしょう。

この建物を含む政府系の建物が並んでいる通りは「空爆通り」と呼ばれています。

 

3.まとめ

今回はセルビアの首都、ベオグラードの空爆跡についてご紹介しました。

世界にはこういった負の遺産もたくさんあります。

それらを見るたびに切ない気持ちになります。

正直めっちゃテンション下がります。

しかし世界を知るという事は良い部分を知ると同時に、負の歴史にも目を向ける事だと思います。

綺麗なところを周るのも楽しいですが、こういった負の遺産にも目を向けて色々考えるのも、僕の旅の意義の一つです。

コソボは長らく紛争地帯でしたが、現在は旅人が安全に旅行できるくらいの平穏を取り戻しているそうです。

実は昨年夏にコソボ&アルバニアに行く計画を立ててました。

結局行かなかったのですが、こうしてブログ記事を書いていてコソボ&アルバニアへの想いが再燃してきました。

もし行った時はレポートしますね!

このブログではこれからも負の遺産についても紹介していきますね。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

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